堅固な思想、それはいかなる反論によっても打ち破られることのない客観的な正当性や無謬性、況して誰しも受け入れざるを得ないような論理的整合性などにではなく、寧ろややともすれば過ち、揺らぎ、綻れ、逡巡する、それゆえ一歩でも譲ったら足許から音を立てて崩壊するような危うさにこそ備わるものだ。換言するならば、それは社会的・政治的といった種々の力能の稼動、或いは言語そのものの促しによって、自らが語っている言葉を常に言葉ではない何ものかへと偽装する力としての「正義」や、意味表現の隠喩的な作動としての「真理」へと手繰り寄せられることを潔しとせず、寧ろそうしたあらゆる「正しさ」から自由であろうとする眼差しなのである。