何かをするにしろしないにしろ,その理由は好きなだけ用意することができる.ある有限長さの文字列を(略).現状をどんな文脈に位置づけるのかはその意味で全く任意なのだから,残された手段は,自分がそうしたいのだからそうするのだと聞き分けのない子供のように宣言するくらいである.これが主体性の回復ってやつか.でも人間が二人以上いたらそこがようやくスタート地点になるわけで,思想的な「他者との関係性」を現実に対して回復する道は遠い.