常に無限延長されたものを基準に無限でないものを考えるのが近代の思考である。たとえば物理学はあきらかに数学的といっていい直線とか真円とか無摩擦とか誤差無しとかそう言うものを基準に思考し、それを基準にしながら現実を「ずれのあるもの」として認識する。

この思考パターンを我々自身に適用してしまえば、まず基準として「つねに完璧な選択を行う完全な合理性」や「全く何ものにも制約されることのない自由」だとか「完璧な計画とそれを実現する自制」とかを基準にして、そしてそれからの誤差(つまり非合理、愚かさ、不自由、自制心のなさ)として自分を認識することになる。なるほど近代以降の人間はいつも悩んでいて不幸なはずだ。