段ボール箱三十五箱目の開梱で新装版大日本天狗等絵詞全三巻を発掘完了.第三巻の寂寥感は秀逸.乱雑にも見える筆で簡素に描かれた眼差しにこれ程の感情を乗せられるとは,初見では気付かなかった.例えば二百十六ページからの比良井が電話をかけるシークエンスは,手塚漫画を読む者なら使い古された手法とすぐに思い当たるが,手塚のようにデフォルメを使った表現ではない.漫画の記号表現は読者と漫画との隔たりを作る.ここにあるのは漫画への抗い難き移入だ.

珍しく捨てなかった帯にはこう書かれている:「詩であり神話であり祈りであり、なによりもマンガそのもの」.神話かどうか知らないが,詩情と祈りを感じずにはいられない.

あの晩たどりついたあの家で
開こうとするその扉はしかし
私を迎え入れるために開くのではなかった
無意味なドア その前に立つ私
どうしてだろう 居ながらにして居ない

人であることを辞め寄る辺なき者として生きる天狗と,それまでの生活を捨て天狗になろうとしたシノブとが,帰る場所を得ようとしてともに失敗する物語が,絡み合って語られる構成は非常にうまい.師匠や比良井や有吾堂が何を求めたのかも含めて読むと,その物語の厚みがいっそう感じられる.